70〜80%までなら楽しくやれるものを敢えて突き詰める意味とは

70〜80%までなら楽しくやれるものを敢えて突き詰める意味とは

ARCARADIO(@arcaradiofficia)です。

物事は何でもそうですが、突き詰めれば突き詰めるほど進捗効率が下がり、目に見える結果が出にくくなります。

なので、何かを作る際は「完璧にやること」よりも「終わらせること」を優先しろと叫ばれている節もあるのではないでしょうか。

僕も創作人の端くれなので、進捗率70%を超えた辺りから生じる負荷の恐ろしさはよくよく身に染みているんですけど、何故か残り30%を妥協することができません。

それはもはや執念や怨念と呼ぶ類のもののような気がしますが、今日はその辺を考察してみようと思います。

何かを楽しむには「手をぬくこと」が大事

仕事でも趣味でも、何かを楽しくやるために大事なのは「手を抜くこと」だと思います。

過集中して取り組めば確かに最終的には良いものができるかもしれませんが、その過程で受けるストレスや負荷は尋常じゃありません。

僕の体感では進捗率が70%を超えた辺りから急激に辛くなっていき、80%を超える頃には疲労感に苛まれ、90%を超える頃にはストレスがマッハで周囲の物に当たり散らしたりTwitterで暴言を吐き始めます。

 

今回の製作もその例に漏れず、さんざん喚き散らしてましたね。

まぁTwitterで暴言を吐く分には物的被害が出ないので別に良いんですけど、酷い時は物に当たり散らして破壊してしまったりします。

それでいくつのキーボードとマウスを駄目にしたか分かりませんし、何度硬いものを殴って手を痛めたか知れません。

傍から見たら完全にギャグなんですけど、当人は至って真面目だから始末に負えないところです

 

製作も70〜80%くらいで止めておけば大したストレスを感じることもなく、ある程度心身の健全性を保つことができるでしょう。

そうすれば無用な負荷がかかることもなく、それなりに楽しく続けられるかもしれません。

しんどい思いをするくらいならそっちの方が絶対良いと思うし、それで納得できる人は是非そうすべきだと思います。

ぶっちゃけ70%のものを95%まで高めたところで周囲からの評価は変わりませんし、売れるためには質より量が大事なので70%のものを大量生産した方が効率的です。

70%を超えた部分はもう作った本人にしか分からない領域ですし、完全に自己満足の世界です。

自己満足を得るためにここまで自分を痛めつけてるんだから、なかなかマゾいよなぁと思わないでもありません。

「自己満足」は何より大事

では、何故僕はそこまでして70%より上の部分を追い求めてしまうでしょうか。

それはさっき書いた通り、「自己満足」でしょうね。

自己満足というと侮蔑的な意味で使われることも多いものですが、個人的には自己満足以上に大事なものなんて早々ないと思っています。

人間は何のために生きるのか?という問いには「幸せになるため」と回答したいところですし、人間の幸福は主に自己満足から生まれるものです。

自分が何かを成し遂げてその成果に胸を張れるほど幸せなことはありませんし、それが自信に繋がることも多いのではないでしょうか。

 

他者から賞賛されるのも悪くはありませんが、それらは自己満足の代替にしか過ぎません。

いくら他人から賞賛されても自分がそう思えなかったら無意味だし、逆に他人から「クソだゴミだ」と言われても自分で「宝石だ」と思えるのであればそれが一番です。

さっきも書いた通り、他人は70%から上を察知できる審美眼は持ち合わせてないので、その評価はどうしてもデフォルメ化されてしまうんですよね。

おおよその人間はポジショントークでしか物を言いませんし、「この作品は素晴らしい」というのはイコール「この作品は自分にとって都合が良い」ということと同義です。

そこに絶対的価値を認めているわけではなく、その作品が世に周知されることによって当人に何かしらのリターンが見込めるから賞賛している面もあるんじゃないでしょうか。

 

だから「共感」が売れるためのキーワードになるわけです。

日本は民主主義制度がベースになっているため、あるイデオロギーに賛同する人間の数が多ければ多いほどその主張は有利になります。

となると、自分に都合の良い主張を描いた創作物が世に認められれば、それに賛同する人間にとって絶好のプロパガンダになるわけです。

そりゃ賞賛して騒いで周知させようとするのも当たり前ですよね。

 

そのようなプロパガンダを求めている人間にとって大事なのはあくまでも作品が叫ぶ主張なわけで、クオリティなんてのはどうでも良いわけです。

もちろん最低限のクオリティがないと世に評価されづらいのである程度までは求めるでしょうけど、それをクリアしていれば後はどうでも良いわけです。

考えようによっては作り手は自分に負荷をかけて突き詰めなくともある程度の評価は得られ、受け手も創作物がプロパガンダという本来の役目を果たしてくれるので双方共にメリットが生じることになります。

うーん、ちょっと突き詰める意味が分からなくなってきましたね。

消費者視点から見たクオリティ

視点を変えて、僕が消費者だった場合はどうでしょうか。

これは当たり前の話ですけど、手を抜いた作品より全力で作られた作品を鑑賞したいです。

例外として、僕より遥かにレベルの高い人が作った物であれば70%くらいの出来でも十分感動できますが、他の媒体ならいざ知らず、音楽面で僕より遥かに優れている人なんて存在するんでしょうか。

まぁいないことはないでしょうけど、ここ最近「この人の作った物は無条件で好き」という感覚は減少してきたように感じます。

ちょっと前までは包括的に好きなアーティストもいたんですけどね、僕も多少は審美眼がレベルアップしているということかもしれません。

 

そもそも、人間は自分と同等かそれ以下の能力・才能の持ち主が作る物にはあまり興味を示さないものです。

自分にないエッセンスを取り入れるために参考程度に聴くことはありますが、あくまでサンプルであり、そこには感動も驚嘆も情動もありません。

その上で、さらに個人的な好き嫌いによる選別が入りますので、もう好きになれる曲なんて両手で数えられるほどしか存在しないんじゃないか?と最近感じています。

それではあまりにもアレなのでもっと漁らないとなぁと思わないでもありませんが、時間も限られてるしなかなか難しいところがありますね。

ただ、できれば各アーティストがメジャーになるきっかけになった曲くらいは網羅したいと思っています。

それが多分その人達が作ることができる最高レベルのものでしょうから。

自分を楽しませてくれる作品が好き

僕が70〜80%でとどまらずその先を目指すのは「自己満足」でもありますが、自分が聴き手だった時にそれじゃ納得できないというのもあるかもしれません。

手を抜いたものを提供されて喜ぶ消費者はいませんが、音楽というのはクオリティが大変分かりづらいため、大抵の場合はそれを知らずに受け入れてるんじゃないかと思います。

前述の通り、自分のレベルを作り手が大きく超えているのであればそれでも問題はありませんが、そうでなければ手抜きが露呈してしまいます。

それで一々クレームをつけたり文句を言ったりすることはありませんが、なんとなく残念な気持ちになるのも事実です。

一生懸命やって良いものができないのは仕方ありませんが、手を抜いて良いものができないとなると「なんのために作ってるの?」と思います。

こういう価値観はブラック社会を形成する基になるのであまり声高に主張するのもアレですが、とりあえず自分はそんな感じでいきたいかなと。

もちろん他人に押し付けるつもりは毛頭ありませんが、できれば良質かつ僕を楽しませてくれる作品が1つでも多く世に放たれれば良いなと思う次第です。

新曲ができました

という経緯でできたのが今回の新曲です。

機材の問題で相変わらずボーカルは細いし、その他色々と問題も多いところですが、今回はこの辺が限界かな。

僕は自分ができることに対して100%を求めるだけでなく、機材や環境が悪くてもそれを計算に入れることなく100%を目指すから余計にタチが悪いですね。

完璧主義以上の完璧主義者なのかもしれないなぁと最近思います。

 

アートワークなんかは一切こだわることないんですけどね。

こだわるとことそうでないとこの差が激しいなぁと思わないでもありませんが、多分それが「才能」「適性」なのかなと。

こだわらないところは一切練習も努力もせず向上心も持たず、ただただ衝動的に楽しくやることをモットーにしたい所存です。

これ以上負荷が増えたら心がお亡くなりになりますので。

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